もう何年前になるのか、8月の15日の終戦記念日に宇和島に行ったんですね。その時に見た引き上げられた紫電改を見た時、何時か特攻で死んでいった人たちの足跡も見なきゃあと思ったんです。
まずは行った右にはボロボロのゼロ戦が展示してあります。
ここまでは写真撮影OKでした。
でも、ここは元陸軍の施設で、おそらく海軍は別の基地を使ったはずだから‥‥何故???
ここ知覧の特攻記念館は、もともと陸軍の施設です。
太平洋戦争の開戦とほぼ同時期に、パイロットの学校として造られた基地です。
それが終戦近くなると、本州の最南端だったこともあり、沖縄まで600kmという近さだったため沖縄戦の特攻の最前基地となったという事です。
特攻で戦死した1000余人の半分以上がここ知覧から飛び立った青年です。
全員が死ぬ命令を受けて過ごした施設です。国が『死ね!』と命令を出す事も信じられませんが、それを「バンザイ」と受け止める精神も全く理解は出来ません。まったく理解できませんが、死んでいった人々の気持ちが純粋で大切なものを守る最後に手段として自分の身を投じたということは分かります。
ただただ、合掌です。
これが彼らが住んだ三角宿舎だそうです。
ここで書いた遺書や遺品が多く展示されています。
特攻で死んでいった人達への鎮魂の像。
彼らが守りたかった母親なのか、恋人なのか、友人なのか・・・つまり祖国、日本なのでしょう。
これは隼の復刻模型です。
そうそう、たまたまこの日は法事をやっていました。なんで5月3日なんでしょうかね?
隣は博物館でした。
あまりに期待値が高かったせいか、見終わった後はこんなものかとちょっと放心状態。
気を取り直して、今日の宿泊地鹿児島に向かいましょう。
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